日本の宗教行事はとにかくカオスです。
クリスマスを祝って(キリスト教)、大晦日に除夜の鐘を聞いて(仏教)、年が明けたら初詣に行く(神社に行くなら神道、寺院に行くなら仏教)。
結婚式は教会で挙げて(キリスト教)、葬式は寺院で執り行う(仏教)。
我々は普段意識していませんが、日本の行事には自然と宗教が溶け込んでいます。
宗教の良いとこ取りをしているような日本人の行動は、海外の人々からは非常に異質に見えるようです。
今回は日本人の宗教観についてご紹介します。
日本の宗教って何?
「あなたの信仰している宗教は何ですか?」
さて、この問いにあなたなら何と答えますか?
私は家が曹洞宗なので「仏教」と答えたら良いのでしょうが、曹洞宗が一体何なのかもよく知りません。信仰しているか、と聞かれるとそんなことはないように思います。
困っている時、助けを求める時に「神様助けて…」と神頼みすることもありますし、ハロウィン、クリスマスの意味なんて知りませんが、雰囲気が好きでパーティーしたりします。
それなのに「私は仏教徒です」と言っても良いものなのでしょうか…。
きっと多くの日本人が回答に困ってしまうと思います。
NHKが2018年に「宗教」に関する世論調査を行いました。全国18歳以上を対象とした調査の結果がこちらです。
https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/500/367473.htm
やはり回答に困っている印象です。
日本の宗教の歴史
日本には縄文時代から「この世のすべての物には神が宿っている」という思想がありました。この「自然崇拝」が神道の始まりだと考えられています。
日本に仏教が伝わった
八百万の神を信じている日本に、西暦538年に仏教が伝わりました。
突然、神様ではなく仏様というものが現れたので日本人は困惑します。
そこで、仏が人々を救うために神という仮の姿で現れるのだということし、「神仏習合」=神と仏は一体であるという独特な思想が生まれました。
神道にはキリストやお釈迦様のような教祖、創始者がおらず、聖書やコーランのように正典も存在しません。
宗教だとはっきり意識しないまま、八百万の神様を信じた日本人。そこにもう一人神様(仏)が増えたとしても大して抵抗がなかったのでしょう。仏教はすんなり日本人に受け入れられました。
神仏習合の建物と言えば、世界文化遺産にもなっている日光東照宮が有名です。神社であるにも関わらず、五重の塔や鐘楼など仏教の施設があります。
しかし明治時代に入り、1868年に神仏分離令が発令されました。これは神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させるものです。
明治政府は純然たる神道国家(天皇中心国家)を目指しました。神道を国教とすることで国が一つになり、より強い国になると考えたからです。
この神仏分離令により仏教は弾圧されていきました。
神社に祀られていた仏像や仏具は取り上げられ、神社に従事していた僧侶は一般人に戻されました。
この他にも全国各地で仏教に反感を持っていた人々による、仏像や寺院を破壊するといった廃仏毀釈運動が行われるようになりました。
結局のところ神仏分離令は失敗に終わります。失敗に終わっただけでなく、日本の莫大な貴重な文化財がわずか数年で失われました。
これらの背景から、日本は神道と仏教が一緒になったり、分離したりを経て現在のような複雑なものになっています。
キリスト教が日本に定着しなかったのはなぜ?
- キリスト教・・・約24億人
- イスラム教・・・約18億人
- 仏教 ・・・約5億人
世界の3人に1人がキリスト教徒です。それに比べて日本のキリスト教の人口はわずか1%以下。それなのにお隣の韓国では30%もキリスト教徒です。
なぜキリスト教は日本で広まらなかったのでしょうか。
キリスト教は1549年にフランシスコ・ザビエルが日本に伝えました。ザビエルの布教はそう簡単にはいきませんでした。ザビエルと日本人とのやり取りを見てみましょう。
キリスト教はすばらしいです。洗礼を受ければ天国に行けます。
そんなにありがたい教えが、なぜ今まで日本に来なかったのですか?教えを聞かなかったご先祖は今、どこでどうしているのですか?
地獄にいるでしょう。ですが洗礼を受ければあなたは救われるのです。
洗礼を受けずにご先祖が地獄に落ちたというのなら、あなたの言う神様はずいぶん無慈悲だし、無能ではないか!全能の神というのであれば私のご先祖くらい救ってくれてもいいではないか!
神様が天地万物を創ったというのなら、なぜ一緒に悪も創ったのですか?
神は善いものを創られ、彼らが勝手に悪くなった。神は彼らを懲らしめ、終わりのない罰を科すのだ。
そんな残酷な罰を下す神様は嫌だ!神様が善い人なら、なんで人間をこんなに弱い存在にしたんだ!
日本人による鋭いツッコミにさすがのザビエルも困ってしまいました。
ザビエルは本国への手紙に「もう精魂尽き果てた。自分の限界を試された」と書いて送ったそうです。
1563年にはポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが来日しました。彼は織田信長の気を引くことに成功し、信長は西洋文化を取り入れるためにキリスト教を保護します。
次第にキリシタン大名が増えてきました。信長の跡を継いだ豊臣秀吉も最初はキリスト教を容認していました。
しかし、そのキリシタン大名が神社仏閣を焼き払ったり、領民を無理やりキリスト教に改宗させたり、奴隷として東南アジアに売り飛ばしたりと大暴れします。
これには秀吉も大激怒。
キリシタンが結束して反乱を起こされでもしたら厄介だ…
そこでバテレン追放令を出して日本から宣教師を追い出そうとします。
しかし宣教師が「自分は商人だ」と言えば出入国できてしまうため、これは失敗に終わります。
江戸時代に入ってからもキリスト教への弾圧は続きます。
ついには禁教令を発令し、キリスト教徒は全員処刑、というのが明治6年まで続きました。
これだけ長い期間キリスト教への弾圧が続いたのですから、日本に定着することはありませんでした。
日本人の宗教観
日本人は「宗教」というと、信仰対象を明確に意識することや、自分が信者であると自覚しなければならないと考えがちです。
特に信仰しているものはないから「無宗教」と答える日本人も多くいます。
しかし無宗教と言っても、神社や寺院に初詣に行くことや、墓参りに行くことは立派な宗教行動ですよね。
「いただきます」や「ごちそうさま」
「人に親切にしなさい」「悪いことをするとお天道様が見ているよ」
これらの言葉も宗教の影響を受けていますが、そんなふうに認識しないくらい当たり前のこととして親から教育されます。
だから日本ではあえて信仰心を宣言する必要がないだけで、きっとあなたの心にも無意識の中に神様や仏様がいるのだと思います。
様々な宗教に寛容で、それらの良いとこ取りをしてきた日本人が実は一番、宗教心が強いのかもしれません。
私が感動した松山大耕さんのスピーチをどうぞご覧ください。
日本人の宗教観というのは、「Believe in something(何かを信じる)」ではなくて、「Respect for something(尊敬する)」もしくは「Respect for others(他者を敬う)」である。
引用:松山大耕
このような日本の宗教観があるからこそ、こんなに面白いマンガが作れるんですよね。↓
あの仏陀とイエスをルームシェアさせて、宗教すらギャグにしてしまうなんて、日本以外じゃ考えられません!
日本人のこういうところ大好きです。
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